1755(宝暦4)年、この辺りは大火に見舞われました。 この蔵は唯一焼け残った建物で、それを理由に宝暦蔵と呼ばれています。
建物は何度も移築されていますが、その小さな建築スケールと、それとは不釣合いな頑丈な骨組みは、往時の建築に対する考え方をわれわれに語りかけているような感じもします。